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生物の教師から、海と生きる海女へ
生物の教師から、海と生きる海女へ

生物の教師から、海と生きる海女へ

2021.12.22 水とともに

本田ほんだ あいさん

私の名前は海の色が由来なので、どこか海に対するあこがれも漠然とあったのかもしれません。私が福岡県宗像市の鐘崎で海女の後継者候補として地域おこし協力隊になったのは、2018年のことでした。

元々生物が好きで、古い文化に興味もあったため手を挙げました。それまでずっと内陸県に住み続けてきた私にとって、海女という生活はもちろん、朝目覚めとともに波の音が聞こえる環境というのは、本当に大きな変化でした。初めて宗像の海に潜った時に見た、海底に揺れる一面の海藻の間を魚たちが走り抜けていく美しい風景は、今も鮮やかに覚えています。

鐘崎海女の一日は、朝7時頃に集まって海を見ながら漁に出るか出ないかを決めるところから始まります。漁に出ると決まれば家ごとに準備を始め、漁の開始時間まで各々好きな漁場まで船で移動。時間が来たら、世話人の合図でいっせいに潜り始めます。漁は2時間半ほどで終わり、初夏から夏至にかけてのウニの時期は、午後からウニの身を板に並べる作業も加わります。

よく海女は毎日海に潜るのだと誤解されるのですが、実は漁に出られる日はどんなに凪が続いてもひと月に半分までと制限されています。これは海の資源を保護するためで、使える道具なども限られています。これらのルールは地域ごとに異なってはいますが、海女たちはそれぞれの地域に合った方法で古くから海を守り、共に生きてきました。

しかし近年、温暖化などの影響で海の中の森である藻場が消失する〝磯焼け〟という現象が全国的に問題となっています。海藻の生える藻場がなくなればそこに住む生き物たちも生きていけなくなり、人の目に見えないところで、静かに海は死んでいきます。幸い宗像の海はまだ海藻に恵まれていますが、それでも油断はできない状況です。代々受け継がれてきた美しい海を残すために何ができるか、私たち一人一人が考えて行動していかなくてはならない。そんな時代に私たちはいます。

女人禁制の沖ノ島では海女たちは船の上で1〜3日過ごしながら漁をする
女人禁制の沖ノ島では海女たちは船の上で1〜3日過ごしながら漁をする
引退したベテラン海女の目の覚めるような熟練ウニ割り
引退したベテラン海女の目の覚めるような熟練ウニ割り
海藻の生える岩場。鐘崎ではウェットスーツと足ひれで潜る
海藻の生える岩場。鐘崎ではウェットスーツと足ひれで潜る
記事=本田 藍

本田 藍

関西から西日本海側の海女発祥の地、宗像市に移住。元高校教諭。海女修行をするなか海の環境を守る活動に興味を持ち、2021年漁師たちとともに海洋プラスチック問題に取り組む一般社団法人シーソンズを立ち上げ。



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